近年、漢方薬や中国鍼、そして気功術までが注目を集めています。漢方のすぐれた効能を認め、科学的研究を進めて治療に役立たせるべきだという主張が、日本ばかりでなく、むしろ外国のほうで熱心に起こってきました。東洋医学の再検討は国際的な新しい主張となってきています。
さて、東洋医学とはいったいなんなのでしょう。これは、中国の漢(紀元前202〜)の時代にできあがっだ医学で、その根底をなしている原典の医書は後漢(西暦25〜220)の時代に著わされたとされる『傷寒論』と『金貴要略』という治療法を解説した古医書です。
また、漢方の医学総論ともいうべき書物で、生理、病因、病理、環境衛生、養生法を論じている『素問』や、解剖、生理、鍼(針)術の物理療法について解説している『霊枢』が、やはり後漢時代前期に著わされています。もう一つ薬物のことを書いた『新農本草経』の原典が、同年代にできたとされています。
このような原典と、その後の隋、唐、宋、金、元、明の各時代に蓄積された医学が中国医学で、これが東洋医学の主流となっています。
中国医学はかなり古い時代に輸入されており、さらに日本の気候風土や国民の体質に合うよう工夫改善されてきました。そして、日本独特の漢方医学を築きあげるにいたり、幕末のころには中国に逆輸入されたほどの発達を遂げました。
その後、日本は明治維新以降に西洋信奉主義に染めあげられ、軍事医学・社会医学に優れたドイツ医学を中心に、西欧の医学をいっせいに導入しました。つまり、ドイツ医学を全面的に採用し、いままでの経験の集積である東洋医学を、法律で一挙に禁止してしまいました。医師免許制度が西洋医学一本にしぽられ、漢方を勉強しても医師にはなれず、西洋医学を習得し医師の資格を得た上でならば漢方を研究しようが開業しようが自由とされました。そういうわけで、漢方医は影をひそめた存在になってしまい、漢方薬だけが家庭薬としてわずかに生き延び、学問的には薬学と薬理学の研究対象の一部に残されるという状態でした。数少ない漢方医とその門下で修業した篤志家(だいたいの人は現代医学の医師資格を得た人で、漢方に興味をもった人)が、細々と漢方の伝統を昭和にいたるまで守り伝えてきたわけです。
第二次大戦後、白本はアメリカ医学を導入し、いままでの物質偏重のドイツ医学の考え方とはちがった精神身体医学という新しい面が加えられ、セリエという学者のストレス学説などのように、東洋医学とよく似た考え方があることを知ったわけです。
1975年にWHO(世界保健機構)が世界各国の伝統医学を新たに再検討することを採択したことを契機に、東洋医学も新しい国際医学として研究されるようになりました。1986年3月、北里研究所附属東洋医学総合研究所が日本初のWHO伝統医学協力センターに指定され、一九八八年四月には富山医科薬科大学和漢診療部が新たに指定されました。
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